「他人嫌い」ではなく「他人に無関心」になるべき

他人

前に比べて『他人』についての記事を書いてない。
というのも、『他人に無関心』になることが多いから。

他人に嫌悪感を持ち、余計な事ばかり考えるくらいなら、無関心になったほうがいい。

“無関心”ということ

あまり「他人が嫌い、人間嫌いだ」なんて言うと、少し危ない人間にも見えてくる。
普通ではないのは、自分でもわかってるが…。

相変わらず、嫌悪感は消えないのだが、無関心であることが多い。
「他人とかどうでもいい」みたいな。

無関心ということは、愛想良くすることもなければ、気遣いなんかもできない。
どうでもいいのだから。
…でも、まぁ、愛想悪かったりするのは、昔からか。
それが、段々と頑固になってきたというか。
もっと年取ったら、「頑固おやじになるんだろうな」と自分で思う。

無関心とは言っても、こんなこと考えたりしてる時点で、色々とこじらせてるわけで。
僕の『他人嫌い』が、解決したわけではない。

最近の他人嫌い

最近の他人嫌いと言えば、朝からドンドン暴れてる隣人がうるさいこと。
日曜の朝っぱらからね。
それでストレス溜まって、こんな記事を書き始めた訳で。

他人なわけだから、これも他人嫌いへと繋がっていく。

ただの騒音問題なんでね。
僕のように心の狭い人なら、誰でもあることのはず。
ありますよね?
…ないかな。
心の広い人なら、どれだけうるさくても“無”になれるんだろうね。


もう一年も前の記事。
マシにはなったものの、今でもうるさい。

…無関心になれてないね。
隣人が大嫌いじゃないか。

話は逸れたが、まぁ、嫌いな他人のことなんで。

無関心でいるには

難しい、僕にとっては。
ここ最近は、たまたま無関心でいられただけ。

朝の騒音男の一暴れで、「他人鬱陶しい」になるし。
外に出ても、ちょっとしたことで他人が鬱陶しく感じる。
おかしな人間がいたりなんかすりゃあ、もうね…。
嫌いだからこそ、目についてしまう。

他人など気にせずに生きればいいのだけど。
無関係な人間関係が他人なのだから。
わかってはいても、そう上手くはいかない。
無になろうと思っても、なれない。
あとは、心穏やかに過ごすこと。
ちょっとイライラしてると「あの野郎」みたいな感じになってしまうし。
…チンピラかよって。

最後に

読み返してみると、僕もなかなかである。
まぁ、他人に迷惑かけるようなDQNではないんで。
「人って嫌だなー」なんて思いながら、生きてるだけ。

まず、「他人が嫌」って言うのがおかしな話だよね。
他人なのに。

でも、同じような考えを持つ人はいると思う。
それなりに。
よろしくない感情なのでね、少しずつどうにかしようと思ってます。
そのために、こういった記事を書いてる。
自分のために。

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