僕は、幼少の頃から、極度の人見知りだった。
そんな僕であったが、
克服するための努力をなど、一切してないのに、人見知りが治った訳とは。
目次
極度の人見知りエピソード
まずは、僕が極度の人見知りであったことがわかる、エピソードを時期ごとにまとめます。
人見知りエピソードはかなりあるんだけど、その中でも印象的なのを…。
母の後ろに隠れる幼少期
もちろん、幼い頃から、人見知りなわけです。
母から聞いた話では、
まぁ、これは可愛らしいですよね。
それを見兼ねた両親は、幼稚園に入る前に、僕を幼稚園みたいなところに通わせた。
その幼稚園みたいなところが、何なのか、未だに理解してない(笑)
ここで、歳の近い子と遊んだりするわけだけど、
そして、本当の幼稚園(笑)に行くと、
幼稚園に行くのが嫌で、毎朝、泣きわめくことになる。
ただ、お母さんと離れるのが嫌だったような気もするが、極度の人見知りも関係していたのではないかと、今では思う。
悩む小学生時代
小学生の頃は、
これも、人見知りによるもの。
学校では、あまり仲良くない人もいるから、しゃべれない。だけど、家に帰って、遊ぶときは、仲の良い友達だけだから、しゃべる。
僕はこの「遊ぶときはしゃべる」と言われるのが、かなり嫌だった。
「学校でしゃべるのは無理だから、遊ぶときに、大人しくしようかな」とか、いろいろと悩んでいた。
このことを、
今思い返してみると、ただのいじめだ。
小学生は、人見知りという性格を理解できなく、不思議に思ったのだろう。
女子に人見知りな中学時代
中学生にもなると、小学生の頃、言われ続けたようなことを言う人もいなくなる。
人見知りという、人間の性格を理解し始めるのか。
中学生になると、
またまた、給食の時間のできごと。
一人の女の子が話しかけてきた。
その直前に、僕は、なぜか先生に怒られたのだ。僕はそれが恥ずかしく、顔が真っ赤に…。
顔が真っ赤になったタイミングが、女の子が話しかけてきたタイミングの直後だった!
結果、僕は、
実際は、好きではないのに(笑)
人見知りっていうよりは、シャイだからこそのことかな。
ん?待てよ…。
人見知り=シャイか…(笑)
他には、人見知りによって、恋愛のチャンスも逃す。
— しろや (@31crossroads) 2018年2月13日
小学生の頃より、人見知りで、嫌な思いをしなくなった。
自分の性格が受け入れられたような気がして、「このままでいいんだ!」と、思えるように。
もしかすると、これも、人見知りがいつの間にか克服させたワケなのかもしれないが、絶対的な訳は、高校時代にある!
変化を迎える高校時代
プロフィールに、さらっと書いているが、僕は高校を転入している。
その転入先が、通信制の高校であった。
環境がガラっと変わる
通信制の高校に通い始めたことにより、僕の環境は、がらっと変わる。
そして、極度の人見知りがいつの間にかなくなり始めたのは、ちょうどこの時期!
そのワケとは、学校自体がかなりラフだったことにある。
このラフっていうのは、あまりいい意味ではない。
どちらかというと、
でも、これが良かった。
テキトーも悪くはない
この
授業態度もテキトー。体育でさえ、まともにやらない。
人間関係だって、通信制であるため、深いところまでいかなく、浅い。
転入前の高校は、勉強も人間関係も、かたっ苦しいところがあった。それが普通なんだろうけど、当時の僕は、これに耐え切れなかった。
悩みがあり、不登校となった挙句、通信制へ転入したという人もいたが、少し…というよりは、かなりグレてる人が多かった。
これも当時の僕には好都合。
グレてるクラスメイト
グレてる感じの人たちは、気さくに話しかけてくれた。
極度の人見知りの僕なのだから、上手く話せないはずだが、この時は、なぜだが、自然と話すことができた。
今まで関わったことのないタイプの人だったからなのか。
テキトーな環境に自分を変えられた
このテキトーな感じが、極度な人見知りで、外に出ると肩に力の入ってた僕を変えてくれたようだ。
「こんなテキトーな感じでいいのか!」ってね。まぁ、ダメなんだけど(笑)
きっと、人見知りの自分という殻から、無意識に抜け出したのだろう。
しかしだ。
どちらかというと、環境に自分を変えられたという表現のほうが正しい。
そうして、不思議と人見知りは克服されていった。
大学からは人付き合いが楽に!
大学に入ると、
誰でもできるようなことだが、極度な人見知りの僕にとっては、難しいことだった。
仲良くしたいなって人に、自分から連絡先を聞いたり。
ちなみに、当時は、スマホが普及するちょっと前なので、電話番号とメールアドレスを、赤外線機能を使って交換します(笑)
人間関係だけでいえば、大学時代が一番有意義だったかもしれない。
いろいろな人と関わることができた。
人見知りのままの僕では、できなかったことだ。
通信制高校への転入は、デメリットがかなり多かったが、人見知りの克服が大きなメリットとなった。
人見知りを克服する気は全くなかった!
「人見知りがなくたって良い結果になった」みたいな話になってるが、人見知りが悪いものだと思ったことは、一度もない。
それは、中学生のときに、人見知りな性格の自分が、どこか、受け入れられたような気がしたからなのか。
小学生の頃の感じが続いていたら、僕は、人見知りを克服しようと、努力していただろう。
治す必要がないと思っていたからこそ、いつの間にかなくなっていたのかとも思う。
最後に
馴れ馴れしい人なんかと比べたら、人見知りの人のほうが、よっぽどいいし(笑)
人見知りは性格であって、治さなくてはならない病気ではない。
だからこそ、克服するのが、難しいのだけど…。
人見知りは、性格であって、あなたの個性です。
その個性を取っ払ったら、あなたはあなたじゃなくなり、個性のないつまらない人間となる。
実際に僕も、極度な人見知りだった頃のほうが、キャラが立ってて個性的でした。
「人見知り治したい…」なんて考えたり悩んでる人!
そんな必要ないですよ!
僕みたいに、いつの間にか…ってことも、十分にありえるし。