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  • 極度の人見知りがいつの間にかなくなった!その訳とは

    僕は、幼少の頃から、極度の人見知りだった。
    そんな僕であったが、気づくと、その人見知りはなくなっていた!

    克服するための努力をなど、一切してないのに、人見知りが治った訳とは。

    目次

    1. 極度の人見知りエピソード
    2. 環境がガラっと変わる
    3. テキトーな環境に自分を変えられた
    4. 大学からは人付き合いが楽に!
    5. 人見知りを克服する気は全くなかった!
    6. 最後に

    極度の人見知りエピソード

    まずは、僕が極度の人見知りであったことがわかる、エピソードを時期ごとにまとめます。
    人見知りエピソードはかなりあるんだけど、その中でも印象的なのを…。

    母の後ろに隠れる幼少期

    もちろん、幼い頃から、人見知りなわけです。

    母から聞いた話では、一緒に公園に行くと、母の後ろに隠れてしまっていたらしい。
    まぁ、これは可愛らしいですよね。

    それを見兼ねた両親は、幼稚園に入る前に、僕を幼稚園みたいなところに通わせた。
    その幼稚園みたいなところが、何なのか、未だに理解してない(笑)
    ここで、歳の近い子と遊んだりするわけだけど、人見知りは治らなかった様子。

    そして、本当の幼稚園(笑)に行くと、人見知りは、さらに悪化。
    幼稚園に行くのが嫌で、毎朝、泣きわめくことになる。
    ただ、お母さんと離れるのが嫌だったような気もするが、極度の人見知りも関係していたのではないかと、今では思う。

    悩む小学生時代

    小学生の頃は、「学校では静かだけど、家で遊ぶときは、よくしゃべるよね」と、頻繁に言われるようになる。

    これも、人見知りによるもの。
    学校では、あまり仲良くない人もいるから、しゃべれない。だけど、家に帰って、遊ぶときは、仲の良い友達だけだから、しゃべる。

    僕はこの「遊ぶときはしゃべる」と言われるのが、かなり嫌だった。

    この時期だけは、人見知りで悩んだ。
    「学校でしゃべるのは無理だから、遊ぶときに、大人しくしようかな」とか、いろいろと悩んでいた。
    このことを、給食の時間に同じ班の人、全員にこのことをいじられ、泣いてしまったこともあった。
    今思い返してみると、ただのいじめだ。

    小学生は、人見知りという性格を理解できなく、不思議に思ったのだろう。

    女子に人見知りな中学時代

    中学生にもなると、小学生の頃、言われ続けたようなことを言う人もいなくなる。
    人見知りという、人間の性格を理解し始めるのか。

    中学生になると、恋愛関係でこの人見知りが、発揮させる。

    またまた、給食の時間のできごと。
    一人の女の子が話しかけてきた。
    その直前に、僕は、なぜか先生に怒られたのだ。僕はそれが恥ずかしく、顔が真っ赤に…。
    顔が真っ赤になったタイミングが、女の子が話しかけてきたタイミングの直後だった!

    結果、僕は、その子が好きみたいな雰囲気になってしまう。
    実際は、好きではないのに(笑)

    人見知りっていうよりは、シャイだからこそのことかな。
    ん?待てよ…。
    人見知り=シャイか…(笑)

    他には、人見知りによって、恋愛のチャンスも逃す。


    小学生の頃より、人見知りで、嫌な思いをしなくなった。

    自分の性格が受け入れられたような気がして、「このままでいいんだ!」と、思えるように。
    もしかすると、これも、人見知りがいつの間にか克服させたワケなのかもしれないが、絶対的な訳は、高校時代にある!

    変化を迎える高校時代

    プロフィールに、さらっと書いているが、僕は高校を転入している。
    その転入先が、通信制の高校であった。

    この転入により、僕は、人見知りを克服することになる…!

    環境がガラっと変わる

    通信制の高校に通い始めたことにより、僕の環境は、がらっと変わる。

    そして、極度の人見知りがいつの間にかなくなり始めたのは、ちょうどこの時期!
    がらっと変わった環境が、僕の人見知りをなくした。

    そのワケとは、学校自体がかなりラフだったことにある。

    このラフっていうのは、あまりいい意味ではない。
    どちらかというと、テキトーな感じの意味(笑)

    でも、これが良かった。

    テキトーも悪くはない

    このテキトーな感じが、この頃の僕には好都合だったようだ。
    授業態度もテキトー。体育でさえ、まともにやらない。
    人間関係だって、通信制であるため、深いところまでいかなく、浅い。

    転入前の高校は、勉強も人間関係も、かたっ苦しいところがあった。それが普通なんだろうけど、当時の僕は、これに耐え切れなかった。

    悩みがあり、不登校となった挙句、通信制へ転入したという人もいたが、少し…というよりは、かなりグレてる人が多かった。
    これも当時の僕には好都合。

    グレてるクラスメイト

    グレてる感じの人たちは、気さくに話しかけてくれた。
    極度の人見知りの僕なのだから、上手く話せないはずだが、この時は、なぜだが、自然と話すことができた。

    今まで関わったことのないタイプの人だったからなのか。
    周りにいる人のタイプが変わると、自分が置かれる環境も、大きく変わる。

    テキトーな環境に自分を変えられた

    このテキトーな感じが、極度な人見知りで、外に出ると肩に力の入ってた僕を変えてくれたようだ。
    「こんなテキトーな感じでいいのか!」ってね。まぁ、ダメなんだけど(笑)
    きっと、人見知りの自分という殻から、無意識に抜け出したのだろう。

    しかしだ。
    僕は、人見知りを克服したかった訳ではない。
    どちらかというと、環境に自分を変えられたという表現のほうが正しい。

    そうして、不思議と人見知りは克服されていった。

    大学からは人付き合いが楽に!

    大学に入ると、自分から話しかけることが、できるようになった。
    誰でもできるようなことだが、極度な人見知りの僕にとっては、難しいことだった。

    仲良くしたいなって人に、自分から連絡先を聞いたり。
    ちなみに、当時は、スマホが普及するちょっと前なので、電話番号とメールアドレスを、赤外線機能を使って交換します(笑)

    人間関係だけでいえば、大学時代が一番有意義だったかもしれない。
    いろいろな人と関わることができた。
    人見知りのままの僕では、できなかったことだ。

    通信制高校への転入は、デメリットがかなり多かったが、人見知りの克服が大きなメリットとなった。

    人見知りを克服する気は全くなかった!

    「人見知りがなくたって良い結果になった」みたいな話になってるが、人見知りが悪いものだと思ったことは、一度もない。

    僕は、いつの間にか、人見知りがなくなっていただけで、克服したい気持ちなど、全くなかったのだから。
    それは、中学生のときに、人見知りな性格の自分が、どこか、受け入れられたような気がしたからなのか。
    小学生の頃の感じが続いていたら、僕は、人見知りを克服しようと、努力していただろう。

    治す必要がないと思っていたからこそ、いつの間にかなくなっていたのかとも思う。
    「人見知り治そう!」なんて努力をしていたら、どんどん呪縛にはまって、抜け出せなくなっていたかもしれない。

    最後に

    人見知りなんて、克服する必要はありません。
    馴れ馴れしい人なんかと比べたら、人見知りの人のほうが、よっぽどいいし(笑)

    人見知りは性格であって、治さなくてはならない病気ではない。
    だからこそ、克服するのが、難しいのだけど…。

    人見知りは、性格であって、あなたの個性です。
    その個性を取っ払ったら、あなたはあなたじゃなくなり、個性のないつまらない人間となる。

    実際に僕も、極度な人見知りだった頃のほうが、キャラが立ってて個性的でした。

    「人見知り治したい…」なんて考えたり悩んでる人!
    そんな必要ないですよ!
    僕みたいに、いつの間にか…ってことも、十分にありえるし。